大好きなあの人に嫌われている⁉︎ そんな時には「幸せの呪文」を唱えてみよう
どうしたの?羊司。なんだか元気がないわね。
学校の担任の先生がね、最近僕のことを見てくれないんだ。朝登校した時に、とびっきり元気に挨拶をしたのに、先生は他の子と話すのに夢中で気づいてくれないし。授業中も僕だけ当てられる回数が少ない気がするんだよね。先生は僕のことが嫌いなのかなぁ。はぁー、落ち込むなぁ・・・。
そう。羊司は「先生が僕のことを好きだったら、僕を見てくれるはずだ。見てくれないのは、僕のことが嫌いだから?」って考えたから、悲しくなっちゃったのね。大丈夫よ。そんな時に、自分の心を軽くしてくれる「幸せの呪文」があるの。聞きたい?
幸せの呪文?なにそれ?聞きたい!
ふふっ、その呪文はね・・・「愛に証拠を求めないこと。証拠なんかなくても、私は愛されている」
なに・・・?愛・・・?証拠・・・??
そう。「愛に証拠を求める」とは「私を愛しているなら、〜してくれるはずだ」と考えること。愛に証拠を求めると、関係が壊れてしまうの。だからあなたも「先生が僕のことを好きなら、〜してくれるはずだ」って考えてはいけないのよ。
ちょっと難しいから例をあげて説明するわね。
羊司は、お母さんのこと好き?
うん、大好きだよ。
ありがとう。それじゃあ、「お母さんのことが好きなんだったら、勉強頑張って」「お母さんのことが好きなんだったら、いつも笑って機嫌よくするはずよね」「お母さんのことが好きなんだったら、言うことを聞くはずよね」って言ったら、どんな気持ちになる?
うーん、すごく嫌な気分になる。確かにお母さんのことは大好きだけど、僕だって疲れていて笑えない時もあるよ。勉強したくない時もある。自分の意見を言いたい時だってあるよ。そんな風に言われたら、僕の「好き」っていう気持ちを利用されているような気がして、すごく嫌な気分。
そうよね。「私のことが好きなんだったら、〜をして」「〜をしてくれないってことは、私のことが嫌いなのね」って、好きな人に言われると、ものすごく苦しいよね。自分だって疲れている時もある、笑えない時もある。それなのに、「自分が相手を好きだ」という気持ちを人質に取られて、いつも相手の機嫌をとることを要求されたら、だんだん相手と一緒にいることが苦しくなって、関係が壊れてしまうのよ。
だからね、「自分の好きな相手が〜してくれない。それは自分のことが嫌いだから?」って悲しい気持ちが心にわいてきたら、この呪文を唱えるの。「愛に証拠を求めないこと。証拠なんかなくても、僕は愛されている」。そうすることで、自分の心をニコニコさせておくことができるでしょう?心がニコニコしていると、先生の態度に関わらず「僕は先生が好きだ」という気持ちを大切にして、穏やかに過ごせるよね。
でも、そんなこと言ったって、先生は本当に僕のことが嫌いかもしれないよ。そうだったらどうするの?
前回も言ったけれど、大切なのは、出来事じゃない。考え方なの。第一、本当の本当に先生があなたのことを嫌いだって、どうして断言できるの?他人が自分のことをどう思っているか、100%正確に知ることなんて、誰にもできないのよ。だからこそ、あなたに出来ることは、自分の心を幸せにする考え方を自分で選ぶこと。
「愛に証拠を求めないこと。証拠なんかなくても、僕は愛されている」って考えて、自分の心をニコニコさせておくと、あなたは先生や周囲の人に明るく優しく接することができるでしょう?そうすると、明るい人と一緒にいることは気持ちがいいから、あなたはきっと人に愛される。考えたことが現実になるのよ。
そっか。「愛に証拠を求めないこと。証拠なんかなくても僕は愛されている」。うん、元気が出てきた!明日「好きだよ」って気持ちを込めて、また先生に大きな声で挨拶をしてみるよ!よーし、僕、牧場まで遊びに行ってくる!
あらあら、羊司ったら(笑)