幸せに生きるためにできること。ひつじの親子の場合

いつも心おだやかに、幸せな気分で生きることを夢見ているひつじの親子のお話

大好きなあの人に嫌われている⁉︎ そんな時には「幸せの呪文」を唱えてみよう

みなさんはこんなことありませんか?
 
・私は夫の誕生日をしっかり覚えていてサプライズでお祝いしたのに、夫は私の誕生日を忘れている。私、愛されていないのかしら?
 
・公園で顔見知りのママ友にとびっきりの笑顔で挨拶をしたのに、相手はそっけない態度。私嫌われているのかしら?
 
・飲み会の時に後輩には気前よくおごる恋人。でも、デートの時私にはおごってくれない。私より後輩が大事ってことなの?
 
・学校の先生が優等生のあの子のことばかり見ていて、僕を見てくれない。僕は先生に嫌われているの?
 
・大好きな友達が他の子のところに行っちゃった!僕は嫌われた?
 
こんな風に感じる時って、つらいですよね。自分は愛されていないのかなって不安になり、原因を自分の中で探したり、みじめな気持ちになったり・・・。
そんな時に、自分の心を軽くしてくれる「幸せの呪文」があるんですめぇ!
 
今回はそんなお話。
 

どうしたの?羊司。なんだか元気がないわね。

 

学校の担任の先生がね、最近僕のことを見てくれないんだ。朝登校した時に、とびっきり元気に挨拶をしたのに、先生は他の子と話すのに夢中で気づいてくれないし。授業中も僕だけ当てられる回数が少ない気がするんだよね。先生は僕のことが嫌いなのかなぁ。はぁー、落ち込むなぁ・・・。

 

そう。羊司は「先生が僕のことを好きだったら、僕を見てくれるはずだ。見てくれないのは、僕のことが嫌いだから?」って考えたから、悲しくなっちゃったのね。大丈夫よ。そんな時に、自分の心を軽くしてくれる「幸せの呪文」があるの。聞きたい?

 

幸せの呪文?なにそれ?聞きたい!

 

ふふっ、その呪文はね・・・「愛に証拠を求めないこと。証拠なんかなくても、私は愛されている

 

なに・・・?愛・・・?証拠・・・??

 

そう。「愛に証拠を求める」とは「私を愛しているなら、〜してくれるはずだ」と考えること。愛に証拠を求めると、関係が壊れてしまうの。だからあなたも「先生が僕のことを好きなら、〜してくれるはずだ」って考えてはいけないのよ。

ちょっと難しいから例をあげて説明するわね。
羊司は、お母さんのこと好き? 

 

うん、大好きだよ。

 

ありがとう。それじゃあ、「お母さんのことが好きなんだったら、勉強頑張って」「お母さんのことが好きなんだったら、いつも笑って機嫌よくするはずよね」「お母さんのことが好きなんだったら、言うことを聞くはずよね」って言ったら、どんな気持ちになる? 

 

うーん、すごく嫌な気分になる。確かにお母さんのことは大好きだけど、僕だって疲れていて笑えない時もあるよ。勉強したくない時もある。自分の意見を言いたい時だってあるよ。そんな風に言われたら、僕の「好き」っていう気持ちを利用されているような気がして、すごく嫌な気分。

 

そうよね。「私のことが好きなんだったら、〜をして」「〜をしてくれないってことは、私のことが嫌いなのね」って、好きな人に言われると、ものすごく苦しいよね。自分だって疲れている時もある、笑えない時もある。それなのに、「自分が相手を好きだ」という気持ちを人質に取られて、いつも相手の機嫌をとることを要求されたら、だんだん相手と一緒にいることが苦しくなって、関係が壊れてしまうのよ。

 だからね、「自分の好きな相手が〜してくれない。それは自分のことが嫌いだから?」って悲しい気持ちが心にわいてきたら、この呪文を唱えるの。「愛に証拠を求めないこと。証拠なんかなくても、僕は愛されている」。そうすることで、自分の心をニコニコさせておくことができるでしょう?心がニコニコしていると、先生の態度に関わらず「僕は先生が好きだ」という気持ちを大切にして、穏やかに過ごせるよね。

 

でも、そんなこと言ったって、先生は本当に僕のことが嫌いかもしれないよ。そうだったらどうするの?

 

前回も言ったけれど、大切なのは、出来事じゃない。考え方なの。第一、本当の本当に先生があなたのことを嫌いだって、どうして断言できるの?他人が自分のことをどう思っているか、100%正確に知ることなんて、誰にもできないのよ。だからこそ、あなたに出来ることは、自分の心を幸せにする考え方を自分で選ぶこと。 

「愛に証拠を求めないこと。証拠なんかなくても、僕は愛されている」って考えて、自分の心をニコニコさせておくと、あなたは先生や周囲の人に明るく優しく接することができるでしょう?そうすると、明るい人と一緒にいることは気持ちがいいから、あなたはきっと人に愛される。考えたことが現実になるのよ。

 

そっか。「愛に証拠を求めないこと。証拠なんかなくても僕は愛されている」。うん、元気が出てきた!明日「好きだよ」って気持ちを込めて、また先生に大きな声で挨拶をしてみるよ!よーし、僕、牧場まで遊びに行ってくる!

 

あらあら、羊司ったら(笑)

 
 
 いかがでしたか?
大人でも、つい相手に愛の証拠を求めてしまうことありますよね?
そんな時「相手が〜してくれないなんて、私は愛されていないのかな」って不安になって怒りを感じながら相手に接すると、自分も相手も苦しくなってしまいます。
そんな時は、ぜひ「幸せの呪文」を唱えてみてください。「愛に証拠を求めないこと。証拠なんかなくても、私は愛されている」。ほーら、心がニコニコしてきたでしょ?そのニコニコの心で、自分から相手に愛を込めて接してみてください。きっとあなたの気持ちは伝わりますよ。
 
 
今回の「幸せの呪文」は、ヨガの智慧からヒントを得ています。
ヨガはスポーツだと思って始めたのですが、習ううちに「ポーズをとる」というのはほんの一部分で、ヨガには「人が幸せな気持ちで生きる」ための考え方や過ごし方の智慧がいっぱいつまっているんだということを知りました。
 今回の幸せの呪文「愛に証拠を求めないこと。証拠なんかなくても私は愛されている」という言葉は、私が心から尊敬する先生に「ヨガの智慧」としていただいた言葉です。
 このような「ヨガの智慧」は、たくさんあります。また今度、紹介しますめぇ。
 
 
さぁ、羊司が遊びに行っているうちに、私も夕食の牧草スープの準備でもしようかしら。
それでは、また会いましょうめぇ〜。